先日、一流会社の社長を務める私の友人が、社長定年の65歳をまえにして、社長を退陣しました。
ふつうは、みずから会長などになって、相も変わらぬ生活を送っている人が多いようですが、これからの人生を、会社や家族のためでなく、自分のために使いたいと会長職をことわりました。
結局彼は、会社側の要請をことわりされず、相談役だけを引き受けることになりました。
会長職とは違い、相談があるならそちらから来いという生活になったと、彼はたいへん喜んでいました。
定年は、会社によって違うところもあるでしょうが、ふつう、55歳や60歳の誕生日に訪れます。
机のなかやロッカーにある私物を整理し、持っていけるものを除いて、宅配便で自宅に送るように手配し、手提げに入れられるものを持って会社を出ます。
ひょっとしたらごくろうさまでしたと、部下から花束をもらうこともあるかもしれません。
送別会はすでに何回もやってもらっていますから、その日は家に帰るだけです。
家では、妻や子どもたちがごちそうをつくって待っています。
家族たちから、ごくろうさまといわれ、なんとなく忙しいなかで、退職の日は過ぎていくことでしょう。
問題は翌日です。
今日から会社に行かなくていいわけですが、もう会社に行かなくてもいいという解放感よりも、行き場を失った喪失感がおそってきます。
終身雇用制がくずれつつあるとはいえ、まだまだ転職への条件が、十分に整っているわけではありません。
学校を卒業して以来、40年近く通い続けた、人生の大部分を過ごした会社と別れることに、大げさにいえば、体の一部を失った思いにとらわれる人も多いでしょう。
実際、定年とは会社との別れをはじめとして、七つの別れが訪れてくることだとよくいわれます。
私は、60歳からの生き方を決めるのは、この七つの別れをいかに上手にやるかにかかっていると思っています。