会社との別れに続くのが、肩書きとの別れです。
これまでは、「部長」「課長」と呼ばれ、部下からも尊敬を受けていたことでしょう。
会社からはなれれば、肩書きとは関係のないただの人になってしまいます。
定年後はずっと、このただの人が続くのです。
地位に伴う尊敬も得られなくなります。
そのうえ、これまでは「00会社の00です」といえば通用したことでも、会社という後ろだてがなくなったため、通用しなくなることも出てくるでしょう。
三つめは、金との別れです。
給料がなくなるのは当然のことですが、多少使えた接待費も使えません。
はいってくるお金は、会社からの月給で生活していたときとくらべて半分、もしくは三分の一ぐらいになってしまう人がほとんどでしょう。
四つめは、定年をきっかけに突然やってくるというものではありませんが、家族との別れです。
子どもたちはいつか独立してしまうでしょうし、配偶者に先立たれることもあるかもしれません。
最近の風潮として、長年連れ添った妻から、三行半をつきつけられるということも、ありえないとはいいきれません。
また、会社に毎日行くということがなくなりますと、どうしても生き生きとした情報がはいってこなくなります。
職場に行けば、部下に会いますし、訪ねてきた仕事関係の人と、いろいろな雑談もします。
今日の新聞を読んでこなくても、トップニュースぐらいは自然と話題になります。
時事問題だけなら、意識して新聞やテレビを見るように心がければ、それほど在職時代と変わることもないでしょうが、会社には、社内のうわさ話という生きた情報もあります。
こうした情報との別れが五番目の別れです。
定年を境に、人間関係も極端にせまくなりがちです。
たしかに、定年になっても部下は会社にいますし、取引先もいます。
しかし、これは会社を通してのつき合いです。
定年後に会社に行き、当時の部下と昼食をともにしたけれど、なんとなく過去の人として扱われ、三度と行くものかと思ったという人は少なくありません。
おたがいに、肩書きをはずして、人間としてのつき合いを持っていたにしても会社を仲立ちとしたつき合いである限りは、定年と同時に人間関係の糸はなんとなく切れてしまいがちなものです。
これが六番目の別れです。
最後の七番目の別れは、健康との別れです。
男の厄年は、42歳とされていますが、最近の長寿傾向によって、肉体的な厄年は十年延びて、52歳ともいわれています。
定年と同時に病気におそわれるものではありませんが、体のあちこちにガタがきていることは確かです。
年をとるにしたがって、健康に対する不安が強くなってきます。
定年とは、消極的に考えれば七つの別れでしかないかもしれません。
しかし、定年後に新しい生活が待っていることを考えれば、この七つの別れによって、新しい七つの出会いが生まれる可能性もあるのです。
平均寿命から考えて、人生90年といえる時代にあっては、定年は人生のゴールではなく、むしろ、第二の人生のスタートです。
言葉をかえれば、40代、50代というのは、定年というゴールに向かって走っている時期ではなく、第二の人生をスタートするための力を蓄えている時期だといえます。