私の兄は長いあいだ、さる大手企業で役員を務めていましたが、よほどのときでない限り、会社からのクルマの送り迎えはことわり、もっぱら満員電車にゆられて通勤していました。
ふつうなら、ほかの役員クラスの人たちと同じように、自宅までクルマで送り迎えしてもらうところなのですが、定年後、クルマの送り迎えがなくなったときが怖かったというのです。
この点、兄は徹底していて、サラリーマンの特権ともいうべきものには、できるだけ頼らないようにしていたようです。
たとえば、社用宴会は極力避ける、近い距離なら、絶対にタクシーに乗らないで、こまめに歩くといった調子です。
定年後は、生活がこれまでとはガラッと一変します。
この変化は、たんに朝早く起きて会社に行き、仕事につくという、いままでの生活パターンが変わるということだけではありません。
それまでサラリーマン社会のなかで自分の持っていた、さまざまな権限、特権がことごとく失われ、タダの人になってしまうということでもあります。
毎朝、会社のクルマで送り迎えされていた人は、もう運転者付きのクルマには乗れなくなりますし、また社用で足しげく通っていた高級クラブにも、通えなくなります。
もう誰も、部長とか常務などと呼んでくれることはないでしょう。
いままでチヤホヤしてくれた人のなかには、そっけなく、冷たくなる人もいるでしょうし、お歳暮、お中元のたぐいも、日に見えて少なくなってきます。
この変化の与えるショックは、思っている以上に大きなものです。
とくに定年まえの地位が高かった人ほど、この激しい変化には耐えられないことが多いようです。
激しく変化した現実を受け入れることができず、「あのヤリ手で鳴らしたあの人が、こんなに老け込むとは」といわれるようになり、そのままボケ、寝たきり老人のコースをまっしぐら、ということにもなりかねません。