以前、NHK教育テレビの番組で、つぎのような定年退職後のユニークな生き方を紹介するものがありました。
ある出版社に勤めていたやり手の編集者が、仕事のなかで出会った古文書の表装に、興味を持つようになりました。
そこから、経師屋・表具師の仕事へと関心が広がっていき、一度、本格的に自分でやってみたいと思うようになるのです。
しかし、現役の編集者にはそんなヒマはありません。
いまの仕事は、十分充実していますから、そこから逃げ出すつもりもありません。
そんなある日、彼ははたと思いあたったのです。
いまの仕事を務めあげたら、そのあとの仕事としておあつらえむきではないか。
それから、彼の毎日は以前に増して生き生きとしたものになりました。
古典の出版を手がけるいまの仕事のなかで、いやというほど表装の仕事には出会えます。
こうして、編集者としての仕事に、盛な意欲を燃やした何年間かが続きました。
そして退職の日、彼の目はすでに、いままでの仕事からつぎの新しい目標に向かっていました。
慣れ親しんだ仕事から去る寂しさよりも、新しい仕事へ向かう待ちどおしさのほうが強かったといいます。
こうしてなかば趣味だった表具師の仕事を、彼は職業として成り立たせてしまうのです。
いまや、奥さんをよき助手として、近所の人や、昔の知り合い、そしてそこから広がる新規の客からの仕事がつぎからつぎへと舞い込み、多忙で充実した第二の人生を送っているということです。
彼の場合、自分の現役時代の仕事のなかから、第二の人生の目標を見つけることができた、じつに幸せな例かもしれません。
しかし、多かれ少なかれ、すべての人にこうしたチャンスはあるのではないでしょうか。
いまの仕事を一生懸命やっていれば、むしろそのなかで、あれもやりたい、これもやりたいと思うものが出てきて、それが定年後のテーマになることは十分ありえます。
定年後のために、テーマを探さなければという意識よりもむしろ、定年になったらやりたいこと、やり残したことができるという、待ちどおしい気持ちになる人もいるはずです。
定年後を、そうした自分のキャパシティのひとつの余裕としてとらえておけば、定年無力症など起こりようもありません「定年退職を迎えた心境」について尋ねたアンケート調査を見ても、「これでひと区切りついたという安堵感」が、40・八パーセントでトップを占めています。
続いて、「りっぱに務めあげたという解放感」が、36.0パーセントで二位です。
これに対して、「住み慣れた職場を離れるという寂しさ」は31.0パーセントで三位です。
「もっと続けてやっていきたいという心残り」が32.5パーセントで五位、「これからどうなるという不安感」が16.2パーセントで七位と、定年に対しては不安感、心残りよりは、安堵感、解放感が強いということがわかります。
この解放感に加えて、自分がつぎに取り組める対象を持っていたとしたら、もう鬼に金棒です。
逆にいえば、まえもって、さきほどの編集者の表具師の仕事のように、定年後の目標が設定されていたとすれば、それだけ定年時の安堵感・解放感も大きいということになるでしょう。
このことを考えれば、現役時代の生活のなかで、定年後の生き方を決められるようないいきっかけを見つけるチャンスに、もしも出会ったなら、これを見逃す手はないといえるでしょう。