人とのつき合いは、広まれば広まるほど、深まれば深まるほど、ますます楽しくなっていくものですが、ただひとつ私が思うのは、自分が得意のときの人とのつき合い方はひじょうにむずかしいということです。
私の母は、人づき合いには人一倍気をつかっていましたが、ときに事業に失敗したり、病気をしたりして、失意のどん底にいる人にやさしく接していました。
反対に、得意の絶頂にいて、さらに何か便宜をはかってもらおうと、すりよってくる人には冷たかったようです。
これは、人として当たり前のことかもしれませんが、いざやろうと思っても、なかなかできないことです。
昇り調子の人とつき合って、その人といっしょに上昇していきたいとは誰もが思うことでしょう。
反対に、落ち日の人とつき合っていたら、自分もいっしょに落ち目になっていくのではと思い、つい遠ざかってしまいがちになるのが、世の中というものかもしれません。
この世の中の流れに、一歩も二歩も踏みとどまって、たまたま不幸になってしまった人たちを援助するというのは必要なことです。
そして、困ったときに助けられたという印象は、その人のなかで一生続くのです。
私の母親のところには、恩人だといって訪ねてくる人が多くいました。
亡くなってからも、多くの方がお参りにきてくれています。
「苦しいときに助けられた」という思いは、よほど心に強い印象として残るのでしょう。
小学校の校長時代、お歳暮をどうしても贈りたい人がいました。
その人は、大学の偉い人でも、学校の幹部でもなく、用務員の人たちです。
学校の幹部であり、仕事のパートナーである教頭先生たちに、まず贈らなければとも考えましたが、先生がたは、やはり多くの人たちからあがめられていますし、なにかと恵まれてもいます。
用務員さんたちは、教育の現場では当然なのかもしれませんが、あまり目立った働きはしていません。
しかし、用務員さんがいなければ、学校の日常生活はひとつとしてうまくいきません。
それがわかっていても、用務員さんに目がいく人は少ないのです。
私は、まっさきに用務員さんに贈り物をすることにしました。
そうすると、意外なほど喜ばれて、それからは、いままで何十年もお歳暮を贈り続けている人以上の、親密な感情が通うようになりました。
このような人間関係をいろいろな場でつくっておきますと、意外なところで自分の支えになってくれることもありますし、どこの場所に行っても寂しい思いをせずにすむと思います。