かつて作家の嵐山光二郎さん、画家の故池田満寿夫さんと私の二人で、それぞれ40代・50代・60代の代表として、「新青年とは何か」という議題が与えられ、パネルディスカッションを行ったことがあります。
「新青年」といっても、もちろん戦前の探偵雑誌のことではありません。
現代という新しい時代を若々しく、生き生きと生きている高年齢の世代をさして、新青年と呼んだのです。
要するに、何歳になっても老け込まず、いつまでも青年のように生きている人のことです。
このディスカッションの席上、新青年であるための条件をいろいろ話し合いました。
そこで出た第一の条件は、「後ろを振り返らないこと」でした。
過去にばかりとらわれたのでは、とても青年のように、夢を持って将来を見ることはできません。
第二の条件は、「年齢イメージにしばられないこと」です。
「もう70歳だから、赤いシャツを着るのはおかしい」などといった、自分で勝手につくり上げた年相応のイメージに、いつも行動を合わせようと考えていたのでは、新しいことに挑戦しようとする自分の行動を、自分で制限してしまうだけです。
第二の条件が、「おしゃれであること」です。
これは、たんに外見的なおしゃれだけにとどまりません。
言葉のおしゃれ、動作のおしゃれ、考え方のおしゃれなど、内面的にもおしゃれであることがたいせつです。
第四の条件は「若者と話が合うこと」です。
「近ごろの若い者は」などといって自分の考えを基準にして若者の考え方、感じ方を片づけてしまわずに、いったい彼らが何を考えているのか知ろうと考え、若者のなかにはいって、いっしょに遊べるぐらいの柔軟性を持つことです。
第五の条件は、第四の条件とも関連しますが、「新しいモノ、情報、文化、人間関係に絶えず興味を持っていること」です。
さらに、第六の条件は、「チャレンジ精神、好奇心が旺盛であること」です。
ソニーの井深大さんが、従来の幼稚園ごろからはじめられる幼児教育をひっくり返して、人間の脳細胞の発達の70〜80パーセントが終わる三歳以前から行う幼児教育、ひいては、胎児までさかのぼってはじめるという、新しい教育文化をつくろうと模索しておられるように、絶えず新しいものに挑戦していく精神のことです。
第七の条件が、「国際感覚を持っていること」です。
世界じゅうのことを見渡しながら、日本がどうあるべきか、世界のなかで、人類の一員として、自分はどういう役割を果たしていくべきかといったことを、つねに念頭においている人ということです。
年をとるにしたがって、どうしても落ち込んでしまいやすい材料がふえてきます。
そこで、つい落ち込んでしまいがちなできごとが起こったとしても、それをはね返す考え方を持つためには、「ネアカであること」も条件になってきます。
そのほか、「夢を持っていること」「無精でないこと」「マルチ人間であること」「頭を使っていること」「主役意識を持って生きていること」など、さまざまな条件があげられました。
しかし、これだけ完全に条件の整っている人は、とうてい存在しないでしょう。
「後ろを振り返らない」という、第一の条件を守るだけでも、そうそう簡単なことではないはずです。
だからといって、はじめからあきらめてしまうのでは、ますます新青年から遠ざかっていくばかりです。
ひとつでもいいから、これらの条件を満たしていこうという気持ちが、いつまでも若々しく生きていく新青年の条件といえるでしょう。