まえ向きに未来を考えることができない人の多くは、「自分にはもう未来はない」「自分の人生はここで終わった」と、消極的に考えていることが多いようです。
そして、未来に希望が持てないと考えるところから、過去ばかりを振り返りはじめます。
いわく「私の若いころはこうだった」「あのときは、こうだった」と、思い出の世界におぼれ、いまさら変えようもない過去のことばかりに執着して、残された時間のほとんどを追憶についやしてしまうのです。
こうした消極的な気持ちに陥らないようにするため、私は30代の若いころから、意図的に写真類を残さないようにしてきました。
自分は過去を振り返らない、自分には未来しかないのだと、自分自身を叱咤激励してきたのです。
ですから、私の家には若いころからのアルバムはほとんど残っていません。
日記も意識的に書かないようにしてきました。
これも過去に自分が成し遂げた仕事は、もうすべて忘れ、絶えず前進していく、まえだけを見て生きていく、というつもりだったからです。
もし、ルビンシュタインが過去の自分の業績を振り返るばかりで、まえを見ないで生きていたなら、ルビンシュタインのモーツァルトは、この世に現れなかったでしょう。
トリさんにしても、同様です。
リポーター業は、番組がなくなったと同時にやめられ、現在はふたたび旅館のおかみさんに戻られたそうですが、彼女が亡夫との思い出にひたってばかりいたのなら、彼女は旅館のおかみさんのままにとどまって、リポーターという新しい世界をかいま見るチャンスも持てなかったことでしょう。