私の先輩で、千葉大学で心理学の教授をしておられた盛永四郎先生は、ドイツに留学して知覚の研究をされ、この分野でかなりの業績を残された方ですが、晩年は重度のパーキンソン病に侵されてしまいました。
パーキンソン病というのは、脳が身体各部の筋肉に与える指令がうまく伝わらなくなり、末期には体が動かなくなってしまうという恐ろしい病気です。
ものを見たり考えたりすることは、まったく正常に行えるのですが、体がまるでいうことをきかなくなってしまうのです。
盛永先生は、パーキンソン病に侵されたにもかかわらず、晩年に、『視覚の法則』というメッガー博士の専門書を翻訳されました。
翻訳を開始したときには、すでに右手がまったく動かなくなっていたので、左手を使ってカナタイプのキーを叩いて翻訳していたのです。
それも、一回の動作では力が弱く、キーを叩けないので、ダブルアクションどころか、トリプルアクションで反動をつけて、ようやくひとつのキーを叩くといったやり方です。
その左手もだんだん動かなくなってくると、今度は奥様にアイウエオの表を書いてもらい、それをさして奥さんにキーを叩かせ、一字、一字、刻み込むようにして、翻訳を完成させたというのです。
先生はまた、最後の最後まで、千葉大学で演習の授業を受け持っておられました。
もちろん、教壇に立つことはできません。
そこで、いまお話しした翻訳をするときと同じ方法で授業内容を原稿化し、それを先生のベッドの傍らで見ていた助手に、大学の講義時間に読み上げてもらっていたのです。
授業を受けた学生たちの多くは、こうした先生の生き様から、講義内容以上に、学者の学問にかける情熱、姿勢というものをしっかり学んだことでしょう。
その人の年齢とは関係がなく、その気になれば何歳になっても仕事は続けられるものです。
年齢どころか、病気ですら問題ではないのです。
要は、気力の問題です。
たいせつなのは、自分がいま実際にどれぐらいのことができるかよりも、自分はまだ現役で活躍できるという意識を持つことなのです。
作家の邸永漢さんが、最近もうクルマに乗るチャンスもないだろうということで、免許の更新を断念したと、著書のなかで書かれていました。
自分で納得してやったこととはいえ、もうクルマの運転をすることはないのだという意識は、郎さんにとって、人生のたそがれを強く感じさせるのに十分なものだったそうです。
たかがクルマの免許とはいえ、まだまだ、いつでも運転できるという現役意識を持っているのと、何十年間も続けてきた運転から引退するのとでは、大きな違いがあります。
邸さん自身は、まだまだ現役でご活躍中ですが、こうしたことがきっかけとなって、気持ちがガックリと落ち込んでしまう人もいるでしょう。
クルマの運転ひとつにしても、いつまでも現役であることは、大きな意味を持っています。
喜劇俳優であり監督でもあったチャップリンは、「あなたのベスト作は?」と問われると、かならず「ベストは次回作だ」と答えたといいます。
この言葉はチャップリンがいつも、自分はまだまだいい作品をつくっていくことができる現役なのだと、まえ向きの姿勢でいた証拠といえるでしょう。
人生は、死ぬまでが現役です。
自分は現役であると信じることのできる人は、実際に、何歳になっても現役で通用するのです。