以前、テレビのコマーシャルの審査をする機会があり、このとき一日じゅうコマーシャルだけを録画したフィルムを見続けたことがあります。
それ以来、毎日見ているテレビにしても、ただ漫然とスイッチを入れて受け身で見ているのでは、もったいないと思うようになりました。
というのは、このとき、実際にやってみて驚いたのですが、審査をするという積極的な目的意識を持って見ていると、いつもなら気がつかないところに、思いがけない発見があったからです。
公害が社会的な問題としてクローズアップされた年は、どのコマーシャルも緑の森や高原、山奥の源流といった、美しい自然のイメージばかり出すようにしていました。
エリマキトカゲのブームのときは、ほかにもめずらしい動物を探し出してきたものや、奇抜なおもしろさをねらったものが多かったようです。
テレビを能動的に見ると、テレビドラマでもCMでも、時代というものを読み取るための豊かな情報源になってくれます。
能動的に見るというのは、「批評眼」を持って見ることだともいえます。
番組全体の構成、キャスティング、演出、同種の番組との比較、時代的・社会的意味合いなど、批評の対象とするものはいくらでもあります。
こうした点を独断と偏見で観察していれば、興味の対象はつきなくなり、いつも、ただの傍観者としてテレビを見ていることがつまらなく思えてきます。
若々しい心とは、なんにでも興味を持ち、おもしろがることのできる心のことです。
そうはいっても、興味を持てるようなおもしろいものは、そう簡単には見つけられないという人も多いことでしょう。
しかし、はじめて外界に接する幼児のような目で、身のまわりを見わたせば、なんでもない日常のなかに、さまざまな関心事が、いたるところにひそんでいるものです。
「ジャンケン」に興味を持ち、すでに20年間もそのルーツについて調べているという70歳になる方がいます。
子どものころからなにげなく遊んでいるジャンケンでも、一度好奇心の日で見なおしてみると、意外に奥が深いものだと、いいます。
その方はもともと言語学者志望だったこともあり、ジャンケンのルーツヘの取り組み方は、本格的です。
関連する国の時代や、言葉の意味と音の変遷などから、独自の推論を立てて研究しておられるのです。
私の知人で87歳になる画家がいます。
毎年の展覧会には三百号の油彩を出品し毎日絵筆を止めることはありません。
その画家がいまも現役で活躍できるのは、毎日近所に散歩に出ては、商店街で書店をのぞき、工事現場があればかならず足を止めるという、好奇心を持ち続けているからだそうです。
石ころや空きカンなどで、形が気に入ったものは拾って帰り、アトリエでさっそくスケッチブックに描く。
こうして描きためた膨大な原画がもとになってアイディアがふくらみ、つぎの大作につながっていくということです。
20年間におよぶニューヨーク滞在時代は、よくディスコに通ったというその画家は、自分を訪ねてきた若い人に、「東京のディスコをのぞいてみたいんだけど、いま六本木のディスコではどの店が一番おもしろいかな……」とたずねるほどの好奇心のかたまりです。
「世の中で自分にとって不要なものはないのです。
どんなものでも拒絶せず、自分にプラスになるものを引き出そうとするのが創造に携わる者の心。
年をとって頑固になったり、新しいものに飛びつく気持ちを失っては、とてもこの仕事は務まりません」と、語っておられます。
外界に目を向け、関わりを持つことが、クリエイティブな世界で現役を通していられる秘訣なのでしょう。