お茶の水女子大学教授を長く務め、社会問題、教育問題などのエッセイストでもある外山滋比古さんは、十代からろくろ回しをやらなければものにならないといわれている焼き物を、40歳からはじめたといいます。
40歳になったとき、いままでしたくてもできなかったことをしたいと考え、焼き物を思いついたのだそうです。
最初、知り合いに教えてくれと頼んだところ、十代ではじめなければものにならない焼き物を、いまからやるなんて気は確かかといわれたそうです。
それでも、自分の気持ちを押さえきれず、強引に教えてもらうことにしたというのです。
外山氏は、「はじめてみると、おもしろかったですね、気分が一新しましたね。
まわりの人が数年は若返ったというのです」と、語っています。
チャレンジしてみたい、やってみたいと思うことがあっても、はじめるまえから、年齢、性別、性格などの向き・不向きにこだわって、やはり自分には無理だとしりごみしてしまうことは、よくあります。
しかし、外山氏は年をとりすぎているからと、自己規制するどころか、知人から年齢のことを指摘されても、自分のやってみたいという気持ちに素直にしたがって、楽しみを見つけました。
「コーラスサークルにはいって、人まえで歌うなんて、内気な自分にはとてもできない」と信じ込んでいた人が、友人に強引に誘われてはじめてみたら、人まえで歌う楽しさがわかり、内気どころか目立ちたがり屋の自分を発見したという話を聞いたことがあります。
「男だから、台所にはいって包丁を握るなんて恥ずかしい」と思っていた人が、一度鮮度のいい魚を三枚におろして刺身をつくってみたところ、あらためてそのおいしさに驚かされ、まわりの人からも腕前をほめられて、すっかり病みつきになってしまった、などという話もあります。
「内気な自分には向いてない」とか、「年配者向きでない」「男のすることでない」という自分自身にはられたレッテルは、むしろ人生の再出発、新しい人生にとって不似合いなものです。
いままではかりにそうだったとしても、これからはその過去と決別してみてはどうでしょう。
私は、若いときから「語学や数学が苦手だ」とか、「00が苦手だ」といった言葉は使わないようにしてきました。
こういういい方を自分にするのは、自分が変わるための努力を放棄することだと思ったからです。
自分には向かないというレッテルを自分でつけているあいだは、いやな数学や語学の勉強から解放されますし、取り組む必要もなくて、たしかに楽ができます。
人間は放っておくと、ついつい楽なほうに行ってしまいがちですが、表面上の楽が、人間のほんとうの楽しみを奪う元凶になるから皮肉なものです。
再出発する人生だからこそ、向き・不向きなど気にせず、誰に気がねすることもなく、新しいチャレンジができるのだと、私は思っています。