現役時代、企画マンだった私の友人は、ある出版社の顧問になってからは、これといった仕事もなく、すっかり老け込んでいました。
ところがある日、久しぶりに会うと元気をとりもどし、昔のように生き生きとしています。
話を聞いてみると、ある日ふとい給料をもらっている以上は何か会社に貢献したいと思い立ち、積極的に人と会って、アイデイアや企画を出すなど、前向きに仕事を見つけることにしたのだといいます。
世の中には、頭の中身は年齢と無関係だと痛感させる人がたくさんいます。
たとえば、とかくの批判はあっても、政界の長老たちは、若い人がたじたじとなるほど頭の回転が速く、行動も意欲的です。
体の老化は別として、頭のほうはどの政治家もクリアで、あわよくばもう一度政権の座に返り咲こうと、野心満々の人もいるくらいです。
創業者社長のなかにも、政治家に負けず劣らずバイタリティーのある人たちが多くいます。
私の知っているある創業者社長は、96歳になりますが、まだまだ若い人におくれをとってはいません。
ある日、私が、「そろそろ後進に社長の座をゆずってはどうですか」と冗談まじりにいうと、「そうだなあ、そろそろ若い者にまかせるか」と笑っておられましたが、その若い者というのが、82歳だといいますから驚きでした。
こういう人たちに共通しているのは、「日本という国家にとって、自分は必要なのだ」とか、「自分がいなければこの会社はだめだ」という気持ちが強いことです。
私は、これを主役意識と呼んでいますが、つねにこの主役意識を持って生きている人たちは、精神的な衰えを知らず、生き生きとした人生を送っているようです。
私も、その気概だけはぜひ見習いたいと思い、機会あるごとに、自分が先頭に立ってものごとを進めるように努めています。
昭和十年、一00メートル競走で十秒三の世界タイ記録を出した吉岡隆徳さんは、70歳を過ぎても走り続けていました。
これは、主役意識からといっていいでしょう。
吉岡さんの一00メートルのタイムは、60歳のときでなんと13秒二、70歳でも15秒一と、運動不足の若いサラリーマンではとてもかないません。
吉岡さんは、「私が走り続けることによって、ほかのスポーツマンも『あの吉岡があれだけやっているのだから、オレもまたやりはじめてみるか』と思ってくれるはずです。
だから、私は走り続けるパイオニアでありたいです」と、雑誌のインタビューのなかで語っていました。
この主役意識が、とても70歳を過ぎた方とは思えないほどの若々しさを保っているに違いないのです。
私の近所の奥さんで、たいへんな引っ込み思案で、ほとんど外に顔を出さないという人がいました。
しかし、子どもが学齢期になり、PTAの役員をおしつけられてしまいました。
最初は、「死ぬほどイヤ」とご主人にいっていたそうですが、一年もたたないうちにPTAの仕事がおもしろくなり、人柄まで変わってしまったといいます。
主役意識などとても持てないという人は、この奥さんのように、いやでも自分ががんばらなければならない役目をひきうけてはどうでしようか。
たとえば、同窓会の幹事でもなんでも、何かの会合に気軽に参加したら、そのなかで、小さくてもいいから責任を持って動いてみるのです。
そうすると、いつのまにか積極的な行動をとる習慣が身についてくるはずです。
自分が主役である限り、何もしたくないなどといって、老け込んではいられなくなるでしょう。