私の友人のある経営者は、多忙なスケジュールの合間をぬって、毎日20分から一時間は書店に行き、新刊書を見て回るのを目課にしているといいます。
日についたものは購入し、ざっと目を通すということです。
本はあらゆる情報に関する宝庫ですから、その情報量はかなりのものになるでしょう。
自分から積極的に情報に関わっていこうとする姿勢をいつまでも持ち続けていれば、村上春樹や吉本ばななの小説が売れているという情報を耳にしても、どうせ若者向けのくだらない小説だろうと興味がわかなかったり、自分とは別の世界のできごとに感じられるといったことはなくなります。
サラリーマン時代は、毎日会社に行くこと自体が、大きな情報刺激になっています。
通勤電車に乗っているだけで、車内の吊り広告や人のうわさ話など、情報刺激にはこと欠きません。
社内での雑談も、もっとも身近な情報交換の場ですし、新聞やテレビといったマスコミからの情報以外にも、とくに意識していなくても、けっこうさまざまな情報がはいってくるものです。
こうした情報は、なにぶん受動的なもので、未知の分野への挑戦というには物足りない感じは否めません。
定年後は、こうした種類の情報刺激はたしかに乏しくなりますが、そのかわり、自発的な情報収集活動のチャンスはふえるといっていいでしょう。
というより、もっと積極的に自分から情報に対して働きかけてみてはどうかと思うのです。
80歳に手が届くというのに、趣味のディスコ通いで驚くほどの若さを保っておられる、ある大企業の社長がいます。
同じように年をとっていく連中と、同年代がよく集まる酒場に行き、最近の若者のことを嘆いているのとは大違いです。
「そういう場所は苦手だから」などといわず、たとえシブシブであっても足を運んでみることで、自分が思っていた以上のものが、楽しい経験のひとつとして蓄積されていくに違いありません。
若者が集まる店は、メニューはもとより内装、BGM、店員の接客態度など、これまで通っていた店の雰囲気とは、大きく違っているはずです。
メニューには聞いたこともない料理の名まえが横文字でずらりとならび、違和感ばかりが日立つかもしれませんが、私などは、この違和感がいい情報刺激なのだと思うことにしています。
外国に行ってその国の文化を知るには、庶民の集まる飲食店で食事をし、商店で買い物をすればよくわかるというのと同じです。
異質な文化や環境に接するのは、経験したことのない情報が頭にインプットされることであり、マンネリで硬直化したような頭脳を、リフレッシュする即効性のあるカンフル剤なのです。
私も、たまにはファッションビルに足を運び、ネクタイの一本でも買ってみることにしています。
外国に行ったときなどもそうですが、若向きすぎるかなと思える選択が、ほとんどの場合自分にとってベターであり、人から若く見てもらえるだけでなく、心を若く保つのにも役立っているようです。