昭和55年から二年間あまり、日本ではじめての女性大使としてデンマークに赴任していた、高橋展子さんという女性がいました。
その後、「女性職業財団」や「横浜女性協会」で活躍した、キャリア・ウーマンのはしりといっていい人でした。
高橋さんは、最初専業主婦でしたが、終戦後、通訳としての仕事につき、GHQで米軍将校のアシスタントとして、日本の民主化につくしていました。
そのころ、ご主人の戦死の報が届き、否応なく、仕事を続けることになったといいます。
その後、労働省では、ジュネーブのILO(国際労働機関)で事務局長補として働き、やがてデンマーク大使に任命されたという、すばらしいキャリアの持ち主でした。
女性がいまほど活躍していない時代でしたから、いろいろな困難に見舞われたという話も聞いたことがあります。
そんなとき、高橋さんはいつのころからか、ひとつの知恵を身につけたといいます。
それは、困ったことが生じると、「これはゲームだ」と思ってぶつかっていったということです。
ゲームなら負けることもありますし、むずかしければむずかしいほどおもしろいと思い、困難に向かっていったというのです。
歌手の淡谷のり子さんは、とても明治生まれとは思えない歌声を、テレビやステージで聞かせてくれます。
いっぽうでは、人生相談の回答者やバラエティー番組の審査員などで、若者たちに辛辣な意見を述べている姿をよくお見かけします。
しかし、淡谷さんのマネージャーにいわせると、気むずかしそうな外見とは違って、ほんとうは気さくで、どんな仕事でも文句ひとついわない人なのだそうです。
あの毒舌も、最近の若者が気に入らなくていじめているのではなく、彼らのために注意しているのだといいます。
はた目から見れば、どちらにしても彼女の意見の手厳しさに変わりないのかもしれませんが、それをいっている淡谷さんの気持ち自体は、まるで違うのです。
気に入らないからいじめるというのでは、その仕事自体が、いやだけれど仕方なく引き受けた、というだけのものになってしまいます。
しかし、注意してあげているという気持ちがあるならば、そこには彼らをよくしてあげたいという積極的な意味を、仕事のなかに持てることになります。
この点は、高橋さんも同様でしょう。
どんなにたいへんな仕事でも、「これはおもしろいじゃないか」という、積極的な気持ちで取り組んでいったのです。
一見つまらなそうに見える仕事でも、興味を抱いて取り組めば、まったく違ったおもしろい面も見えてきます。
本人の気持ちひとつで、同じものを、困った事態からおもしろい事態に変えることができるのです。