私も若いころから、いろいろ楽しい経験をしてきました。
自動車の免許を取ったのは昭和26年、26歳のときでした。
そもそも免許を取るきっかけは、東京工業大学の自動車部時代に、仲間と、かつて学長が乗っていた、シャーシだけが焼け残っているナッシュをもらいうけて、走らせようということになったことでした。
まず、エンジンを再生することからはじめ、ボディもみんなの大工仕事で修理しました。
自動車が動くようになったら、免許を取って、ちゃんと道路を走らせたくなってきました。
そこで、当時は貴重品だったガソリンを苦労して工面し、再生させた自動車で練習して、私をはじめ仲間みんなで免許を取りました。
そうなると、自動車部の仲間はポンコツでもいいから自動車が欲しくなってきます。
とうとう三万円で中古車を手に入れて、一泊四日のドライブ旅行に出かけました。
一泊四日というのは、目的地には一泊しかしなかったのに、帰ってきてみたら四日目だったということです。
つまり、行きと帰りはずっと修理の連続だったのです。
旅行中、自動車がエンコしたら、自分たちで自動車を全部ばらして修理し、それをふたたび組み立てなおしました。
とにかく自動車が欲しければ、二万円でも二万円でもいいからポンコツを手に入れて動かすというのが、けっこう楽しい経験になりました。
自動車に限らず、何かやろうと思えば、がむしゃらになってやれることはいろいろとあるものです。
こうした経験のおかげで、いまでも、私はクルマの運転がすこしも苦になりません。
そればかりか、今度はどんなクルマに乗ろうかと、考えるだけでもワクワクしてきます。
本来は文科系なのに、兵隊のがれのために旧制高校で理科系へ進み、さらに東京工大で自動車と出会いました。
『頭の体操』という著書の中身が、かなり理科的、数学的思考になじみがあるのも、こうした経験が役立っているのだろうと思っています。
本田技研の故本田宗一郎さんは、80歳になっても小型飛行機を乗り回し、Flグランプリの競走に熱中し、体を動かしていました。
このような「いろんなバカげたことをやりたい」から、なかなか引退することはできなかったのでしょう。
ここで本田さんのいう「バカげたことをやりたい」というのは、自分のやりたいこと、若いころから経験している楽しいことをやり続けることを意味していたのでしょう。
そして、若いころから楽しむ対象を見っけ、それを80歳過ぎても継続したことが、本田さんのあのバイタリティーの源になっていたとも考えられます。
要は、若いときの楽しい経験を、若さゆえと片づけないことです。
この楽しさは、自分の生涯にわたる楽しさの原点であると思ったほうがいいのです。
もちろん、若いころと同じように楽しめるわけではないかもしれませんが、形は変わってもこの楽しみは自分の体のなかに、脈々と流れ続けているはずです。