私の高校時代の友人に、以前会長を務めていた人がいます。
彼の人生のキャッチフレーズは、いうなればマイペース主義で、高校時代からすることなすこと、徹底してマイペースでした。
高校生最後の年には、「まだ大学に進むのは早い。
もうちょっと高校にいようじゃないか」と、クラスの仲間を説得して、半数以上を留年させてしまいました。
かと思うと、東大にはいってからは、すぐに休学して板前修行に出かけ、二年ほどすると、「やはり卒業しておこう」と大学に舞い戻ってくるなど、好き勝手、したいほうだいに生きていました。
卒業後、何をしているのかと思っていたら、西武の堤清二さんのところでパルコの創業に参画し、それを軌道に乗せ、大成功をおさめました。
また、やはり私の知人に、マイナスの人生をキャッチフレーズにしている男がいました。
彼は、借金につぐ借金を重ねて、ハデな生活のわりに、自分ではあまり金を稼ごうとしないのです。
そのかわり、しっかりと高額の生命保険にはいっておき、借金の相手をその受け取り人にしているのです。
死ぬことで稼げるぶんを、いまのうちに前借りして使ってしまうから、マイナスの人生なのだそうです。
忙しい現役時代から、定年後の人生設計を綿密に立てておけといわれても、そんなことはできない相談だという人が少なくないでしょう。
私自身にしても、さてとあらたまって設計図を引いた覚えなど、一度もありません。
すべては、忙しい毎日のなかで、仕事をこなしながら、仕事と人生を一体化する形でしかできないのが実情です。
定年後の人生設計とは、定年後に限った計画ではなく、むしろ定年後という線引きを離れた若いころからの一貫した人生設計、いうなれば自分自身のライフスタイルの延長にすぎないと思います。
それはCI、コーポレイト・アイデンティティーにならっていうなら、自分らしい人生のLI、ライフ・アイデンティティーを意識してつくっておくことだといってもいいでしょう。
綿密な設計図を引くほどの暇のない人でも、毎日の仕事や余暇を通じて、自分の人生のLIを考えることくらいならできるのではないでしょうか。
そして、じつはこのLIをつくることが、机の上でいかに綿密に組み立てられた人生設計図より、もっと実質的に綿密な人生設計につながるのです。
つまるところ、60歳からはじまる人生とはいっても、結局はLI、自分らしい人生の実現の一部分にすぎないわけです。
その意味では、若いころや現役時代とかけ離れた特別な時代ではありません。
自分の人生はこれでいくというLIが決まっていれば、定年後も、あわてふためく心配はまったくないのです。
自分のLIをつくれといっても、あまりにも漠然としすぎているというのなら、会社のCIが社是やキャッチフレーズを掲げるように、自分の人生のキャッチフレーズを考えてみてはどうでしょう。