私はできるだけ、学生時代の同窓会に顔を出したいと思っています。
これは、たんになつかしさからだけではありません。
自分と同年齢のおおぜいの人間に会うことを通して、自分の姿を見ることができるからです。
つまり若さを保つうえでたいせつな、ライバル意識という刺激を持ち続けるという目的もあるのです。
同窓会などに出席して、自分とまったく同じ年なのに、元気ハツラツとしている人を見れば、「あいつはなぜあんなに若々しいんだろう」と思い、その秘訣を学びたいという気持ちになりますし、反対に、いかにも年寄りという風貌の人を見て、「ああ、オレはまだ若いな」と、ホッと安心し、自信を持つこともできます。
サムエル・ウルマンは、最近話題になった『青春』という詩のなかで、「青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたをいいます。
バラの面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす」(作山宗久氏訳)と語っています。
青春を味わうためには、いつまでも情熱を保ち続けていることもたいせつなのです。
しかし、ただ漠然と情熱を持てといっても、実際にどうしたらいいのか、なかなかわかりにくいものです。
そのために、もっともてっとりばやい方法のひとつが、ライバルを持つことです。
競争相手に向けた、「あいつには、なんとしても負けたくない」というライバル意識が、ことにあたる情熱になり、意欲を生み出し、行動への原動力になるのです。
そしてそれが、若々しい精神を持ち続ける特効薬になってくれます。
かつて作家で故人の宇野千代さんは、ある雑誌の対談でこんな話をされていました。
「私、このあいだ、新聞社のお正月の三日に出る写真で、松坂慶子って、いま当代一の美人でしょう。
あの人と私と並んで写真を撮って、それで、できあがった写真を見たけど、ふたりで年が60歳も違うのに、全然私が負けていないのよ」。
いつまでも若い情熱をお持ちだった宇野千代さんならではの言葉でしょうが、人間は、どんな小さなことでも、ライバルを見いだすことで、若い情熱を呼び戻すことができるのです。
仕事でも、趣味でも、まず、ライバルを探してみることです。
競争相手など、ちょっと見回せば、まわりにたくさんいるはずです。
どんなに小さなことにでも、競争心を燃やせる相手が身近にいれば、まえ向きな精神はけっして失われることはありません。
自分ひとりでその結果に満足しているだけでは、おおいなる進歩は望みにくくなります。
それどころか、自分ひとりの世界だけで満足してしまい、外界に向けて解放する積極性までが、失われてしまいかねません。