60歳を過ぎて、自分は無趣味で、暇を持てあまして困っているという人に、「どんな人にも自分の生い立ちがあるのだから、とりあえずこれまでの自分史を書いてみたら」とアドバイスをしたことがあります。
するとその人は、その話を聞き終わらないうちに、「自分史を書き上げたら、つぎはどうしたらいいでしよう」とたずねてきたのでびっくりしました。
翌日、あるいは一週間さきのスケジュールが決められて行動してきた「会社人間」にとっては、たしかにさきざきの予定が立ちにくい定年後は、心の落ち着かない日々かもしれません。
しかし、私自身もそうでしたが、現役時代とくらべて気楽なのは、予定どおりにいかなくても何も困らないということです。
ある意味では、行きあたりばったりにやっても、誰にもとがめられることはありません。
ですから、つぎにやることが決まっていなくても、とりあえず手近なことからはじめられるという気安さがあります。
この人のケースなら、まずは自分史でも新聞の投書欄に手紙を書くことでも、とりあえずはじめてみることがだいじなのです。
たとえば、自分史を書きはじめるとしたら、書いているうちに、祖父、祖母よりさかのぼった先祖のことが知りたくなるかもしれません。
そうなれば、役所に手紙を出して戸籍を取り寄せ、自分のルーツをたどってみるのもいいでしょうし、先祖伝来の墓がある菩提寺に出かけ、寺の過去帳を見せてもらうのも楽しいでしょう。
自分史を書いていけば、旅行の思い出も登場してくるでしょうし、昔なつかしい思い出をたどって、旅行に出てみたくなることもあるでしょう。
学生時代に修学旅行で行ったところを再訪してみれば、当時は子どもの目線でしか眺めていなかった景色が、人生経験を積んだ日で見ると、なつかしさばかりでなく、思いもよらぬ発見をもたらしてくれるかもしれません。
新聞に投書しようと考えるだけでも、やることはいっぱい出てきます。
採用されたいと思えば、何か書くネタがないかと、なにごとにつけても観察眼が鋭くなります。
自分が書いた原稿が実際に新聞に掲載されれば、一段と張り合いが出て、皿(味の対象もいままでにない広がりが出てくるでしょう。
要は、一歩踏み出してみると、その一歩から、つぎつぎにやりたいテーマが生まれてくるということです。
現在多摩大学教授の河村幹夫さんは、かつて英語の勉強をしようと思って、とりあえずイギリスの探偵小説シャーロック・ホームズのシリーズを原書で読みはじめたそうです。
それがいつしか、シャーロッアンといわれるほどのシャーロック・ホームズの専門家になってしまいました。
これも結局は、とりあえずはじめた第一歩が、つぎつぎに新しい興味へとつながり、研究の深まりに達していったということでしょう。
河村さんは、小説のうえで殺人事件の舞台となった現場に興味を抱くと、実際その場所にまで出かけて行って、ホームズ探偵がしたように現場検証をしたそうです。
ホームズはまだ生きているし、事件現場は保存されているという前提でやるといいますから念がはいっています。
小説に書かれている鉄道のことを調べていくうちに、イギリスの産業革命がどのように進行していったかというテーマが浮かんできたり、さらに突っ込んでいけば、当時の社会制度の問題にも関心が向いてしまったと話しています。
なんでもいいからやってみたいことをひとつ見つけたら、あれこれ考えず、とりあえずそれをはじめてみることです。
このとりあえずが、意外にたいせつなことで、とにかくひとつのことをはじめてみると、やりたいことはつぎつぎと見えてくるのです。