私のような戦前生まれの人間は、小さいときから、「男は家事などするものではない」というしっけをされて育ってきました。
おかげで、私はいまだに料理が苦手です。
しかし、これからひとりの自立した人間として生きていくために、せめて、料理をはじめとする、ひととおりの家事ぐらいは、できるようになっておけばよかったと、いま強く感じています。
ハーバード大学で講師をしていた体験を生かし、アメリカ社会の紹介者として活躍しておられる板坂元さんは、街に出かけたときは、奥さんや子どものドレスや装身具を買うことが多いといいます。
奥さんや子どもさんの好みのパターンをよく知っているので、街を歩いていても「あっ、これは似合う」とピンとくるのだそうです。
こうした家庭的なセンスをしっかり持っている人は、日本の男性としては、めずらしいタイプでしょう。
板坂さんと同じ年代の大正生まれの人はいうまでもなく、40代、50代の人でもなかなかお目にかかれません。
多くのサラリーマンは、家のことはすべて妻まかせ。
女房の服はおろか、自分のパンツひとつすら買うことができないという夫が多いようです。
以前、定年後、家のなかで何もせずゴロゴロしている男性をからかった言葉に粗大ゴミというのがありました。
料理、洗濯、買い物、掃除など、家庭のこととなるとからきしダメ。
ただ家の空間をふさぐだけの、役立たずという意味でしょう。
最近では粗大ゴミといういい方はもう古く、家のなかの空間をふさぐだけでなく、家族全員の迷惑になるということで、この種の男性は、核廃棄物とさえ呼ばれているそうです。
また、いくら払っても離れずにくっついてくるということで、ぬれ落葉という言葉も使われますが、いずれにしても、妻から自立できない情けない夫たちへ向けられた痛烈な言葉といえるでしょう。
家庭科が女子だけの必修科目とされていた以前とは違い、いまの小。
中学校では、男子が家庭科を学ぶのは、もはや当たり前の時代になりました。
現代では、家事は男のするものではないという考えは通用しません。
家庭で生活をする家族の一員として、家事が何もできないようではダメなのです。
定年後は、家族、とくに妻と一日じゅう顔をつき合わせ、協力して暮らすことが多くなります。
夫だけが家事いっさいを妻に押しつけて、ふんぞり返っているというのが認められないのも仕方のないことでしょう。
ボヤボヤしていると、どんどん核廃棄物化しないとも限りません。